赤城山から浅間山と四阿山

日本百名山55座目は、国定忠治の「赤城の山も今宵限り・・・」でお馴染みの赤城山です。群馬県の中央にあり、高崎付近から眺めると長い山裾が印象的です。大沼(おぬ)というカルデラ湖があり、周囲を取り囲む火山の一つ黒檜山(くろびさん1828m)が赤城山の盟主です。山頂から南西側は、左に浅間山、右に4月に登った四阿山(あずまやさん)が見えます。

赤城山から上信越方面

北西側は、眼下に沼田の町、そして残雪の山並みがきれいです。左から、苗場山(なえばさん)、谷川岳、巻機山(まきはたやま)、武尊山(ほたかやま)と百名山が並んでいます。

ロープウェイ山頂駅から奥白根山

翌日は、沼田インターから上田・嬬恋・草津・日光をつなぐ日本ロマンチック街道を走り、丸沼高原スキー場へ。スキーヤーやボーダーに混じって日光白根山ロープウェイに乗り、標高2000mの山頂駅に着きました。明治6年噴火による「御釜大割れ」の絶壁が見えます。

奥白根山南側の雪渓

山頂駅からの登山道は雪道でした。アイゼンをつけて右側へトラバース気味に標高を稼ぎ、山頂の南側へ回り込んで、この雪渓を登ってきました。正面に錫ヶ岳、左奥に前日登った赤城山、その左に皇海山(すかいさん)。草津白根山に対しては日光白根山と呼ばれていますが、日光側の湯元温泉からは前白根山の奥にあるので、山名は奥白根山です。

奥白根山から燧ケ岳

ロープウェイ山頂駅からほぼコースタイムどおり、3時間で登頂しました。標高は2578m、百名山56座目です。山頂からは360度のパノラマでした。北側には、右から越後駒ケ岳、燧ケ岳、平が岳、至仏山、巻機山、武尊山・・・。写真では、正面に尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)、左奥に平が岳です。

奥白根山から男体山と中禅寺湖

南側には荒々しい岩稜の向こうに男体山と中禅寺湖。写真に納まりませんが、眼下は深い火口、周囲にも複数の火口があり、明治時代には数回の水蒸気爆発、昭和27年にも噴煙を上げており、活火山と思うと、あまり居心地の良い山頂ではありません・・・。下山後車を移動して、湯元温泉に宿泊。硫黄の匂いが心地よい濁り湯でした。

男体山から中禅寺湖

翌5月5日は二荒山神社の開山祭です。毎年5月5日から10月25日が登山期間なのです。開扉は午前6時ですが、6時前には次々と500円の入山料を払って登山者が登りはじめていました。2時間半で森林限界を超え、視界が開けました。

男体山から戦場ヶ原

左の広い斜面が戦場ヶ原。二荒山の神と赤城山の神が戦ったという神話が「二荒山縁起」にあり、赤城の神は敗れて、流れた血の色からアカギになった由です。右の山は太郎山で男体山と東隣の女峰山とで日光三山です。正面奥に越後駒ケ岳、左に尾瀬の燧ケ岳。

二荒山大神像と奥白根山

この山の初登頂は782年の勝道上人で空海の「性霊集」(しょうりょうしゅう)に詳しく述べられています。勝道上人はここを観音浄土の山として補陀落と名付け、ふだらく→ふたあらく→二荒→音読みして「ニッコウ」→日光、となったそうです。ついでに「ふだらく」はサンスクリットのポタラックでチベットのポタラ宮は観音浄土宮という意味ですね。二荒山大神=大己貴命(おおなむちのみこと)の左に昨日登った奥白根山が見えます。中禅寺湖畔の二荒山神社中宮祠から山頂までは標高差1200m、後半は急登の連続で思ったよりも大変でした。六根清浄を唱えながら3時間弱で登頂、百名山57座目となりました。